EXECUTIVE BLOG
2022.12.4
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 徳川家康の名字が
松平から徳川に変えたのには意味があると言う話でした。
学校で習う歴史は 殆どが詰め込みで 丸暗記して覚えていたために
何故 そうなのだろう? と考えるより
それが常識だ的な勉強になってしまっていました。
先日ニュースで見たのですが
ある小学校で 小学生が先生に対して なんでそうなの? なんでそうなるの?
的な質問を繰り返したいたところ
先生が 怒り出し
それが常識なんだ!とか その子の事を障碍者扱いした暴言を吐いた
と言うニュースが流れていました。
決められた事さえ教えておけば良いと言う教育現場だったのでしょうが
折角の探求心を摘み取ってしまったのでは?と思ってしまします。
いつも ここのブログで書いていますが
常識に囚われずに何事にも興味を持つことが
新しい発見や発明に繋がるのだと思います。
先日も 大学の講義が終わって 起業を目指す学生からの質問で
「私たちは学生時代どう過ごせば新しいビジネスを思いつくでしょうか?」
との質問に対して
私はその時も 「常識に囚われず何事にも興味を持って過ごしなさい」 と答えたのです。
車はガソリンで走るものだとか 財布は持っているものだとか
工場はライン生産でモノができる とか
今までの常識だけで物事を捉えていたら
進化 進展はないかと思います。
普段の生活のなかで常に興味を持つことが必要だと思います。
見方を少し変えるだけで 見えなかった事が見えたり
それが分かる事で興味が更に増して勉強も楽しくなるのではと思います
そういう事で 家康は 徳川家康なんだと思うだけでなく
何故名字を変える必要があったのか? と少しだけ興味を持てば
学校の勉強も面白くなっていたと思います。
良く明治維新の話をする時に
単に その時期の事だけを学ぶのではなく
何故 あの時 薩摩 長州 土佐が 中心となって 維新の原動力になったのか??
を考える時 その原因が 維新より遡る事250年ほど前の
関ヶ原の戦いを考察する事で 見えてきたりするのです
この事も 随分まえの ブログでも書きましたし
何故 坂本龍馬が薩長同盟を唱えたのかも 色々な偶然の出来事が重なり合っているのですが その事を知ると益々興味が湧いてくるのです。
ただ 学校と言う 時間が限られた中での勉強は 必要な事だけ
頭に叩き込んでおけばよくて 余計な興味を持たせないのが実情だと思います
と 話が逸れましたが
本題の 昨日から続いている 家康に関する事ですが
征夷大将軍になるためには 色々な資格的な事が必要だったのです
そもそも 征夷大将軍って 何なのか????
の話は
またまた
明日に続く、、、。