EXECUTIVE BLOG
2020.6.10
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです
昨日までは
街を歩いていると 色々な建築物があり
しかし その建設に至るまでを知ろうと思っても
せいぜい その建築物にある 「定礎」でしか 知ることが出来ない。
もし
そこで 施主や設計士の話を聞くことが出来れば
その建物を芸術品として見ることができ
街中が美術館になると言う話でした。
昨日書いたように 定礎板に 長々と説明を書くのではなく
QRコードのようなものがあり それを読み込むと
それを見ることでその建築物を芸術品として
捉える事ができ散策もまた楽しくなるなと思ったのでした。
美術館に行きましても
写実派の絵画を見ればなんとなく その良さも分かるのですが
ムンクの叫びや ピカソの絵などは 私には理解不能で
後年の美術評論家の話を聞くことで それが素晴らしい作品だと分かるのですが
それは あくまでも 他人の評価であって
本人は本当にそう思って描いたのかは不明だと思うのです。
とは言え 美術館に行きますと イヤホンガイドを借りるか
専門家の話を
作品の前で その説明を聞きながら廻るのですが
もし そこで 本人の言葉があれば もっとリアルに作品を見ることが出来るのと思うのですが
現実、そんな事は不可能ですよね。
建築物も同じであって 何十年も経ってしまうと
この建物がどのような経緯でどのような思いで建築されたのかは 後年の人は
知るすべもありません。
これはもったいないなと感じたのです
それを
昨日書いた 私が敬愛する設計の先生ほ話を聞いて 強く思うようになったのでした。
まさに 仏像や絵画と同じで 作り手の魂がその建物に乗り移るのだと感じたのです。
まさに 建物に息吹を吹き込むのです。
中には 自分のデザイン賞などを受賞せんがために 革新的なデザインを施したり
する設計士もいるかもしれませんが
その先生は 施主様と納得するまで議論して 作品を作り上げて行く話を聞いて
もし それが 建物を見るとイヤホンガイドのような感じで知ることができると
単なる建物がまさに芸術作品としても捉えることができ
都市全体が大きな美術館になると思うのです。
そういう思いもあり 再度先生と面談させて頂く機会があり
幾つか思い出の作品(建築物)の話をお聞きしたところ
ある 福岡県の県立高校の話になったのです。
この高校の建築を受注された時 今からかれこれ30年ほど前の話だそうですが、
請け負った 設計士さんから建築会社 加えて学校関係の方を集められて
居酒屋さんで 朝まで 高校とは何ぞや? の討議を何度もされたそうなのです。
私が思うには 普通に県から受注することができて
予算内で工事できれば良いのですから 普通に学校としての機能を果たす設計で良いと思いますし
殆どの業者は多分そうだと思います。
しかし この設計士さんは そうではなく
自分たちが学生に戻る感覚で 議論を重ねたのです
そして 出来上がった作品(建築物)は 今までの学校の作りとは違い
生徒と先生の関係がより緊密になるとか
図書館の位置が 私の知る限りの学校は離れたところにあるのですが
入り口近くに配置されていたりとか その図書室からは中庭を見ることができ
恥じらい多い男子生徒がそこから 中庭で談笑している女子生徒を見ることが出来るとか
学校が終わって 靴箱から外に出る時はちょうど木漏れ日が差し込むように配置されたりとか 沢山の仕掛けが建物の中に配慮されているのです。
もし 私の卒業した高校を設計した方が居れば どういう思いで 設計したのかを
聞きたいくらいですが これはもう無理な事です
何とか こういう話を世の中に残したいと
私は強く思い
そして あるアイデアがそこでも浮かんだのです。
そして それを実行することになるのですが
その話は
明日に続く、、。