EXECUTIVE BLOG
2022.7.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
東京大空襲の話から
下町の谷中も 空襲に遭い 多くの住人が犠牲になり
その霊を鎮めるために みしま地蔵が建立されたと言う話でした。
この地蔵を見た夜に 私は高熱にうなされる事になったのですが
これが 犠牲者の祟りとか 簡単に言う人もいますが
私は そうは考えず、
おまえに平和を託したぞ との メッセージを送られて来たのだと考えています。
80年近く昔の話になってきますと
戦争があった事すら忘れかけるくらい 平和ボケしていたとおもいます。
そんな中 突然 ロシアによるウクライナ侵略は 衝撃的な出来事だと思います。
ロシアからのミサイル攻撃は ウクライナの住宅地まで飛んできて 多くの犠牲者が出ており ロシアは全世界から非難を受けています。
しかし これよりも悲惨な事が 昭和20年と東京でもおきており
無差別攻撃による焼夷弾投下で 10万人もの人が命を落としたのです。
都内のあちこちが攻撃を受けていますが
戦争とは無縁と思われる 表参道に
いまだに 戦争の傷跡が残っていることをご存知の方は少ないと思います。
表参道は高級ブランドの旗艦店が集まり、
ファッションの最先端の街というイメージが強いですね、
その入り口である表参道交差点には、印象的な2つの石灯籠が鎮座してます。
これは、1920年の明治神宮創建時に建立されたものなのです。
表参道と言うのは 奥に 明治神宮があるからなのですが その意味すら最初は
私も分かっていませんでした。
この灯籠は、
太平洋戦争中に表参道が山の手空襲で壊滅的な被害を受けていたのです。
1945年3月は下町が空襲に遭いましたが
山の手空襲は1945年5月24~25日の2日連続の大規模空襲で、
当時の麹町区、渋谷区、赤坂区などで約3000人の死者が出そうです。
東京大空襲で焼け残った地域を標的とされ、
飛来した前回の空襲より米軍機は3倍、焼夷弾は4倍にのぼったと言われています。
表参道の灯籠を見ると、土台が一部ひび割れていて、黒ずんでいるのをご存知でしょうか?
ひび割れは空襲の為であり、
更に黒くなっている部分は焼夷弾で燃えた人々の脂が染みこんだものなのです。
普段何も気にせずにこの灯篭の横を歩いていると思いますが
ここを通る時は 是非 御霊様の立ち行きを願い
平和を祈念して頂きたいと思います。
この時の空襲により、皇居内の宮殿も消失したのですから
どれだけ激しい空襲だったか分かるかと思います。
この表参道には 他にも 戦争の傷跡が残っています
それは 何か?????
それは???????
明日に続く、、、。