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社長&顧問ブログ

2024.4.15

西郷南洲遺訓

 

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 一番最近できた神社の話しでした。

 

キリスト教やイスラム教の人々は信じがたいと思いますが

日本では 八百万の神といわれるように なんでも神様にしてしまう

国民性があるのでしょうね

 

古くは 祟りがあると言われた 菅原道真 平将門 崇徳天皇などを

神様に祀り上げてしまったり

 

戦争で亡くなった軍人を 軍の神 すなわち軍神として 神社を創建して

祀ってしまうのです。

 

そして 昨日書いた 武蔵野坐令和神社はコンテンツを神様にしてしまっているのですから 日本人なら何とか理解はできるとして 外国人には理解し難い文化と思われるるのではと思います。

で 話は 一旦戻って 靖国神社には 広く日本人の間では英雄として知られている

西郷隆盛は祀られていないのですが

 

これは 西郷が新政府から逆賊の汚名を着せられたからだったのです。

 

本来であれば 歴史は勝った方が書き換えて行くと言われているように 西郷隆盛は

そのまま 稀代の反逆者で終わってしまうはずですが、 その後何故英雄として

多くの日本人から尊敬されていったのか???

 

しかも 西郷神社までが その後創建されたのです。

 

西郷隆盛は 靖国神社では祀られていませんが 西郷神社では神様として祀られているのですから驚きです。

 

では 明治の大反逆児の西郷は その後英雄となり神様として祀られるようになったのか???

 

西郷さんが英雄として扱われるようになったものとして『西郷南洲翁遺訓』と言う本が影響しています。

これは西郷さんの残した言葉や教えを編纂した本です。

 

では この本は 西郷さん自身が書いたのか?? それとも 地元薩摩の鹿児島の人の手によって書かれ残されたものかと思ってしまいます。

 

しかし そうではないのです。

 

この本は、山形の庄内藩の藩主以下の方々が鹿児島の西郷さんの元を7回も訪れて、

西郷さんの一言一句を書き取ってまとめて出来た本なのです。

 

ちょっと待てよと思う方がいるかもしれません

 

歴史が詳しい方ならすぐわかると思いますが

 

薩摩藩と庄内藩は幕末には敵対関係にありました。

庄内藩は幕府方として江戸市中取締の任に当たっていました。

 

薩摩は倒幕を目指していましたので 西郷さんも江戸総攻撃の口実が出来るのを

待っていました。

 

そこであることを考えたというのです、、、、。

 

それはなにか???

それと 薩摩と庄内はどうなるのか????????

 

 

明日に続く、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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