EXECUTIVE BLOG
2020.10.6
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
いつの間にかここのブログは 歴史ものに変わってしまっています
が 歴史から色々な事が学べるので面白いのです
昨日までのシーボルトが何故日本に興味を持ったかを紐解くと
シーボルトが産まれる60年も前の出来事まで遡らなくてはならないとか
その時々の出来事が 後に大きな出来事になって行くのです。
話は 又大きく逸れてしまいますが、
私が住んでいる 福岡市は もともとは博多と呼ばれていました
いまでも 博多区がありますし JRの駅は博多駅ですね
昔から この地は 博多と呼ばれていたのです。
それが いつ福岡と言う名前になったのか??
それは
黒田家が岡山からこの地に入った時に
岡山の地名であった福岡を博多に持ってきたので 福岡と言う地名になったのです
この事までは 地元の人も知っている方が多いのですが、
明治維新後 市政が施行される時に 市議会で市の名前を決める議会の時に
もともとは 博多市派の議員が勝っていたのですが 議決の時に
福岡市派の人が 博多派の議員をトイレに押し込み 議場に行けなくしたために
一票差で 福岡市に決定したと言う話がありますが
この事はあまり知られていないかもしれません。
この福岡と言う地名を持って来た黒田は NHKのドラマでも有名になった
黒田官兵衛が有名ですね
その官兵衛は最大の軍師と呼ばれましたが 一方最大の謀略家であったと言われています。
謀略は決して気づかれてはならず
その為には どのような誠実な武将よりも 誠実を貫かなければならないのです。
信長と秀吉に身命を賭して仕え続けてきた官兵衛の半生は
まさに誠実の二文字以外の何物でもなかったのです。
しかし 信長が本能寺で滅んだと言う報せが 高松城に水攻めの真っ最中に秀吉の
元に届いた時に
秀吉は錯乱しあまりに取り乱すので
官兵衛は その秀吉に向かって
「嘆かれるのには及びません! これで 天下は殿のものではありませんか!!!」
と 言ってしまうのです。
しかし この一言が 命取りになるのです
この一言で 黒田官兵衛前半生の努力は水の泡と消えてしまうのです。
言い終えた後
黒田官兵衛は 「しまった!」と思うのですが
これは後の祭りです。
今の私達であれば 何が悪かったのか分かりませんよね。
部下であればこういうのが普通とも思えます。
しかし 時は戦国時代命がけの戦いをしている真っ最中です
親兄弟とも戦う時代です
この一言が元で 後年
福岡で 福岡城を築城するのですが そこには城の命でもある天守閣がないのです。
が
原因は先ほどの官兵衛の一言に起因すると言っても過言ではないのです
この理由わかりますか??
何故天守閣を作ることが出来なかったのか?
又 この一言の後に黒田家を待っていた運命とは???
それは
明日に続く、、。