
EXECUTIVE BLOG
2026.7.27
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日は、
「なぜ絵馬に願いを書くのでしょうか」という話でした。
絵馬は、単に願い事を書く木の板ではありません。
それは、神様へ真心を届けるとともに、
「未来の自分との約束」を記す大切な場所なのです。
と言う話でした、、、。
絵馬は京都の貴船神社から始まったと言われています。
実は、その理由を知ると、
日本人が自然をどれほど大切にしてきたのかが見えてきます。
今の私たちは、蛇口をひねれば水が出ます。
スーパーへ行けば、一年中お米や野菜が並んでいます。
しかし、昔の人々の暮らしは違いました。
人々の命は、自然そのものに支えられていたのです。
特に、お米を育てるためには「雨」が欠かせません。
雨が降らなければ田んぼは干上がり、人々は飢えに苦しみます。
反対に、大雨が続けば、田畑は流され、一年かけて育てた作物を失ってしまいます。
つまり、昔の人にとって、
「雨は命そのもの」だったのです。
その大切な雨を司る神様として、古くから篤く信仰されてきたのが、
京都・洛北の山あいに鎮座する 貴船神社 でした。
貴船神社には、水をつかさどる神様がお祀りされ、
朝廷も国家の安泰や五穀豊穣を願ってたびたび祈願を行いました。
そして、その祈りには特別な意味を持つ馬が奉納されました。
雨を願う時には黒馬。
黒い雲を呼び、恵みの雨を願う祈りでした。
晴れを願う時には白馬。
雨が止み、美しい青空が広がることを願う祈りでした。
馬は、神様へ願いを届ける最も尊い贈り物だったのです。
しかし、生きた馬は大変高価でした。
誰もが奉納できるものではありません。
それでも、人々は考えました。
「本物の馬を奉納できなくても、真心だけはお届けしたい。」
その思いから、
木の板に馬の姿を描いて奉納するようになりました。
これが、「絵馬」の始まりと伝えられています。
つまり、絵馬は最初から願い事を書く板ではありませんでした。
神様へ真心を届ける「馬」そのものだったのです。
私は、このお話を知った時、日本人の素晴らしさを改めて感じました。
「できないから諦める。」ではありません。
「できる形で真心を表そう。」
その優しい発想が、千年以上も続く文化を生み出したのです。
今、貴船神社を訪れると、本殿の近くには多くの絵馬が掛けられています。
受験を控えた学生。家族の健康を願う人。
新しい仕事への挑戦を誓う人。大切な人の幸せを祈る人。
一枚一枚の絵馬には、それぞれの人生があり、それぞれの願いがあります。
私は、その絵馬を見ていると、不思議と温かい気持ちになります。
人は時代が変わっても、願うことは同じなのです。
努力が実りますように。
そして、
大切な人が笑顔でありますように。
そんな願いが、千年以上もの間、この場所に積み重ねられてきました。
だから貴船神社には、どこか特別な空気が流れているのだと思います。
そして私は、絵馬で一番大切なのは「願いを書くこと」ではないと思っています。
願いを書いたその日から、
「その願いに向かって歩き始めること。」
それこそが、本当の絵馬の意味ではないでしょうか。
神様は、
願いを魔法のようにかなえてくださる存在ではありません。
努力する人の背中を、そっと押してくださる存在なのだと思います。
だからこそ、絵馬は千年以上経った今も、多くの人の心を支え続けています。
もし京都を訪れる機会がありましたら、ぜひ貴船神社を訪ねてみてください。
静かな本殿に手を合わせ、風に揺れる木々の音に耳を澄まし、
たくさんの絵馬を眺めてみてください。
そこには、
日本人が自然とともに生き、感謝し、祈り、努力してきた歴史が息づいています。
一枚の小さな絵馬。
その始まりは、一頭の馬でした。
そして、その馬に託された真心は、
千年以上の時を超え、
今もなお、私たちの願いを静かに見守り続けているのだと思います。