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社長&顧問ブログ

2023.8.8

赤帽

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 日本で最初の駅弁の話でした

それを考えたのが 宇都宮にあった 旅館白木屋さんだったと言う話でした。

 

新しいサービスは 聞いてしまうと当たり前のような気がしますが

最初にそれを行うのは素晴らしいと思います。

 

最初の駅弁が おにぎり二個と沢庵だけでしたが 今の値段に置き換えると

なんと数千円もしていたそうですから驚きです

 

それでも必要な乗客は買っていたと言う事ですね

 

最近の方はもうご存知ないと思いますが 昔の駅弁は 今の駅弁がコンビニなどで売っているのとは違い

駅弁売りのおじさんが ホームで車両の周りを歩いていたのです。

 

乗客はどうやって買ってたの??? と思うでしょうが

昔は 車両の窓が開けれらのですね そこで 弁当売りを呼んで 車内からお金を渡して弁当を受け取っていたのです。

 

この事をご存知の方は 何歳以上の方でしょうかね、、、。

 

それから 年寄りなどが大きな荷物を持っていると それを持って階段を降りるのは大変でしたから 赤帽さんと言う方が居て その方にお金を渡すと荷物を改札の外まで持ってきてくれてたのです

 

赤帽と聞きますと 今では 軽の運送事業者を連想しますが 実は 駅に居た荷物運搬人だったのです。

 

今の様に どこで エレベーターやエスカレーターが無い時代でしたので 年寄りにとりましては 有難い存在だったのです。

 

赤帽は、日本の鉄道の誕生とともに生まれたのです。

最初の赤帽は、1896年に関西鉄道(明治期の私鉄会社。名古屋~大阪間に有力な路線網を持っていた)の駅で「荷物運搬夫」として誕生したそうです。

 

その後、主要駅に常駐するようになりました。そのとき、目印として赤い帽子をかぶっていたことから赤帽と呼ばれるようになったといわれています。

 

 

必要な所に必要なサービスが生まれるのですね

 

この赤帽も 新幹線の登場と共にだんだんと姿を消して 最後の赤帽さんは 2000年くらいに引退したかに聞いていますが

私は子供時代以外には見かけた事がありません。 多分岡山駅に居た方が最後だったかに聞いています。

 

で 運送の方の赤帽が始まったのは1950年だそうです。

創始者は松石敏男と言う方で、きっかけは、ある日路上で見かけた老婦人の姿だったそうです。

 

松石氏が東京の路上を歩いていたある日、大荷物を抱える老婦人の姿を見ました。

その老婦人は何度もタクシーを呼び止めているのですが、

タクシーは止まっても一言二言話して、走り去ってしまうのです。

それは

老婦人の荷物がタクシーに載りきらないため、乗せることができなかったのです。

 

今の方は そんな大きな荷物なら自宅まで届けさせれば良いではと思うでしょうが

当時の鉄道による宅配便は自宅まで届けに来てくれず、

自分で駅まで取りに行かなければならなかったのです。

 

なので、おそらくこの時の老婦人は荷物を駅で受け取って、そこから自宅に帰る所だったのです。

 

ちなみに、宅急便の登場はこれから26年後の1976年で、まだまだ先の話でした。

このような状況で松石氏は

「もっと多くの人が気軽に荷物を送れるサービスがあれば」と思い、

赤帽の創設を思いついたそうです。

 

しかし 何故彼は そのサービスを赤帽と名付けたのか???

 

等の話は

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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