EXECUTIVE BLOG
2020.12.25
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きですが
いつの間にか 太平洋戦争の話になって
開戦から 終戦の話等 あちこち話が逸れています
日本の近代史をみると 明治時代から昭和20年までが
大日本帝国憲法で 戦後は日本国憲法に変わりましたね
日本国憲法下で育った私たちは 同じ日本でも
戦前の 大日本帝国憲法下の政治体制やその時に存在していた
軍部の事は 殆どの方が馴染も無いので
色々な出来事を見ると なんと理不尽な と思うような事が多々あります。
戦争開始の時の事もそうですし 終戦時の様々な出来事も今では想像できない事ばかりですね
その理不尽の戦争において 数百万人の人々が亡くなったのは事実です。
その中には 本当に内地にいる家族を守るための信念から敵艦に体当たりした
特攻隊員をはじめ 激戦地で戦った兵士は 命令のまま行動をした人が
大半だったと思います
この戦争を引き起こしたと言われた人々が 戦後の裁判によって裁かれ
その一人が 広田弘毅元首相だったのです。
彼は平和を愛する外交官あがりの政治家でしたが
帝国憲法下の様々な仕組みに自由を奪われ 軍部に操られてしまった政治家の
一人だったのでした。
このあたりを 語ると 明治維新まで遡らなくてはならず ご承知の通り
薩摩と長州が天下を取った形になり 陸軍は 長州藩のリードにより
形成され その中心人物が 山縣有朋と言う軍人だったのです
この人物については 色々ありますので 今回は省きますが
この山縣有朋が制定した軍部大臣現役武官制により
多くの政治家がその足かせにより 自由が奪われ 軍部が幅を利かせることに
なってしまったのです
これは 現役の軍人でなければ 陸軍大臣海軍大臣になれないと言う仕組みなのです
何故これが足かせになるのかは 前にも書きましたが
例えば 首相が戦争は始めない と方針を出したとすると
戦争を押し進めたい軍部は 大臣に辞表を出させるのです その結果
その内閣は 次の大臣を決めることが出来ずに 結局 総辞職をしなければならず
そうしないためには 軍部の要求を飲み続けなければならないのです。
ほんと理不尽ですよね
一旦は この仕組みは無くなったのですが 広田弘毅内閣の時に 復活してしまったのです
だから 広田が開戦するに至った張本人だという事で 死刑になるのは当然だと
言わえれる所以なんですが
かれは 好き好んで復活させたのではなく 226事件の軍部内の争いの為に
やむなく復活させてしまったのが真相ではと思うのですが
彼がそれで死刑になってしまったことは本当に理不尽な事だと思うのです
裁判中に連合国の検察官が 元将軍の石原莞爾に 今回の戦争責任は誰にあると思うか?
と質問した時に それは 「ペリー」だ と答えたと言う有名な話があります
ペリーは言わずと知れた 日本を開国させた張本人ですよね
石原が言いたかったのは 鎖国で平和な国だった日本を 戦争に巻き込んだのは
アメリカのせいだと言いたかったのでしょう。
くわえてその後 日本で 天下を取ってしまったのが長州藩ですね
田舎の長州藩が一気に天下をとって 日本を指導するのですが
それまで約300年間日本を統治していた徳川幕府から いきなりバトンタッチされて
しまって 統治をすると言う考えが甘かったのではとおもうのです
もし あのまま徳川体制の下で 明治を迎えていたら
不幸な戦争には投入しなかったのではと思うのです
本当に歴史は 色々な巡り合わせで流れて行くのだと思います。
私達自信も振り返ると あの時 あの出会い あの出来事が有ったから
今があるのだなと思う事が多々あると思います
話が途切れている 麻布十番のジャーナリストととの出会いが
私自身の歴史の変わり目だったのではと思います
明日は
やっとITに戻れるか?
続く、、。