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社長&顧問ブログ

2022.5.1

野口英世は会津人

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日は 野口英世の話でした

野口英世は ご承知の通り 子供の頃 囲炉裏に落ちて 確か左手が

不自由だったと思います。

そのせいなのか、 彼の写真は 常に左手は体の後ろに隠している感じがします。

 

大人になって 手術して回復したと聞いてますが もしかしたら 今の様に外科技術が発達してない時代だったので 完全回復では無かったのかもしれません。

そんなハンディもあったので 誰よりも負けず嫌いで 研究に没頭したのかもしれません

 

先日書いた マリリンモンローの検視を行ったトーマス野口さんも アメリカで 人種差別に負けまいと必死に努力をされて 検視局長になっていますから

成功する人の陰には努力がつきものだと改めて思います。

 

 

野口英世は 猪苗代湖の近くで産まれています。

この猪苗代湖があるのが 会津ですね、 昔の会津藩があった場所です

野口英世は 戊辰戦争でから8年後に生まれています。

会津軍が新政府軍にボロボロに負かされた話を両親や地元の人たちから聞いて

もしかしたら 長州藩をはじめとする新政府に対して会津藩の心意気を見せつけようとして 努力を重ねたかもしれません。

そんな 努力家の野口英世ですが

一方では

人に借金をしては、飲みにいくとか、将棋を打ち出したら何時間もやめないとか、ずぼらな人でもあったとも言われています。

 

古い人であれば誰でも知っている歌に

「小原庄助さん、なんで身上つぶした。朝寝 朝酒 朝湯が大好きで、それで身上つぶした。」

と言う言葉歌があります。

実は、この小原庄助さんも会津人だったのです。

 

この歌が日本中にひろがったのは、

小原庄助さんが駄目なやつだといっているからではないのです。

会津の人は、純粋で楽天家で、あまり物事を気にしないという面が

人々から愛され、親しまれたからなのだと考えます。

 

会津の冬はひどく寒いので、お酒で温まり、いやな事を忘れ

楽しく生きようとするための生活の知恵でもあったのかもしれませんね。

 

野口英世はお酒におぼれても、しっかり働きましたし、

人望も厚く人々に慕われていたそうです。

彼は恩師に借金をしては、遊びに夢中になり、また借金をするという生活ぶりだったそうです。

しかし根っからの陽気さと、人に好かれる性格だったため、

また人は英世にお金を貸したのです。

 

それに遊びに行くときでも、勉強の本を必ずふところに入れていたことで、

彼は絶対の信用を受けていたようです。

普通、どんなに才能があると思われる人物にでもそうそうお金を貸したり、

借金の工面をしてやったりはしませんよね。

それを恩師たちにさせた英世という人の会津人としての、

時に勇ましく、時に愛らしくみえるその性格は

とても魅力に満ちたものだったのではと思います。

 

と又話が逸れてしまいました。

 

もう一つの逸話で 東北大震災の時 山口商工会議所の面々が 会津を訪問して

激励会を行ったあと

山口の経営者と会津の経営者が 記念撮影を行い

撮影後 山口の経営者が会津の経営者に対して 握手をしようとしたところ

会津の人たちは その握手を拒んだと言う話があります。

 

これは 何故か分かりますよね???

 

この話の詳細は

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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