EXECUTIVE BLOG
2023.4.24
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は 銀座の話がメインでした
銀座もあるなら 金座もあり 銅座もあったのです。
銅座がの名前が残っている 長崎は市内一の歓楽街となって栄えています。
今日は この話を少し
江戸時代 幕府は 金貨 銀貨 銭貨の三つを 国の基本のお金としていました。
そして 金座 銀座 銭座と言う組織を作っていたのです。
金座は 江戸 京都 駿府 佐渡に
銀座は 江戸 伏見 大阪 長崎に
置かれていたのです。
で 銅座は 江戸時代,銅の精錬・専売をつかさどった役所で、
銅は長崎貿易の重要な輸出品であり,その統制と増産奨励のため,1738年設置されて
長崎奉行の支配に属したそうです。
この銅座と言う町名は
私が調べた限りでは、今では 長崎にしか残ってないようです。
長崎市の銅座は歓楽街ですが その隣に 有名な思案橋があります。
私が 最初に長崎に赴任した時、 長崎と言えば思案橋だろと思って
その橋を探しに街に出たのですが
なかなか見つける事が出来ませんでした。
橋と言うからには 川に架かっているのだろうと思いますから
長崎に流れる 中島川あたりを探していました
そこで これまた有名な 眼鏡橋は見つける事は出来たのですが 思案橋はありませんでした。
そこで 地元の人に聞いて その方向に行くのですが
そこには 川はありませんでした
電車道があるだけなのです しかし そこに有る電停の名前は 「思案橋」 でした
たしかに そこは思案橋だったのです
それで 周りをよく見てみますと 一本の柱が見えたので 近づいてよく見てみますと
そこには 思案橋と書かれた 欄干が建っていたのです。
なんだこりゃ と思いましたが
よくよく調べてみますと この道路の下にその昔川が流れていて
いまは 暗渠になっているのでした
それで 橋は必要でなくなり 当時あった 欄干だけが残されていたと言うわけなのです。
がっくり名所と言う言葉を耳にしますが まさに 私にとりましては
想像した橋では無かったと言う事で
私の知る限りでは 高知のはりやま橋 札幌の時計台に次ぐ
がっくり名所になってしまいました。
しかし 何故 ここが思案橋と言われるようになったのか?? に興味が湧きますね
先日書いた 銀座ときめき橋にも そのネーミングには意味があったように
長崎の思案橋の名前が付いたのには訳があったのです。
いろいろ分かると面白いのですが
この話は
またまた
明日に続く、、、。