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社長&顧問ブログ

2022.9.11

靖国で再会

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 社頭の対面 から 誉の子の話でした

 

戦時中 軍部は戦意高揚の為に 靖国神社まで利用していた気がします。

 

この靖国神社は 昨日書いたように もともとは 戊辰戦争で亡くなった方々を祀る

為に出来た神社だったのです。

 

では 戊辰戦争で亡くなった方全てが 祀られているのかと言うとそうではなく

意外にもあの方が 祀られていない事に驚きます。

 

当初靖国神社は、

天皇の側に立って戦った官軍の戦死者を顕彰するのが目的だったのです。

 

しかし、よく知られているように、

1877年の「西南戦争」で明治政府に反抗して戦死した西郷隆盛や、

1874年に「佐賀の乱」を起こした江藤新平は“賊軍”であるとして、

実は合祀されていないのです。

 

もちろん、会津藩の白虎隊も明治政府に逆らった賊軍であるという事で、

靖国神社には祀られていないのです。

 

一方で、戊辰戦争以前の「安政の大獄」で江戸幕府によって処刑された吉田松陰

橋本左内らは“新政府側”ということで合祀されています。

戦死ではなく結核で病死した高杉晋作も合祀されているのです。

 

ここでも長州の力が左右したように見受けられます。

こうした対応に、いまでも不満を持つ人がいるのだそうです。

 

このように、 当初は靖国神社は“鎮魂”を目的としていたのですが、

日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦を経て“慰霊”から“顕彰”へと変化していったのです。

 

特に、第2次世界大戦中は、

日本兵が戦友との別れの際に「靖国での再会」を誓ったことから、

靖国神社は日本兵の「心のより所」となり、

軍国主義化の中で第2次世界大戦の戦死者は「英霊」として祀られたのです。

 

この英霊の子供が 誉の子と呼ばれ また 英霊たちと話をすることを

社頭の対面と 呼ばれるようになり 軍部のプロパガンダに利用されていったのです。

 

しかし 靖国参拝を行う方の多くは

「哀悼、敬意及び感謝の気持ちを捧げる」ことが目的であり、

過去の軍国主義を美化するものではないのです、

 

しかし、毎年8月15日に政府が主催する全国戦没者追悼式は問題にならないのに、

なぜ日本の首相等による靖国参拝は外国から批判され、

国際問題になってしまうのでしょうか????

 

その訳とは??????

 

それは?????

 

明日へ続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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