EXECUTIVE BLOG
2019.10.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです
昨日までは ロシア軍に占領されると言う悪夢に襲われていた
皇后陛下の夢枕に 坂本龍馬が出てきて 日本を守ると告げ
そのことが 新聞で報道されて日本人の士気が高まったと言う話でした。
そこから本題に戻らなければなりません
なぜ 日本は 標高203メートルの 203高地を攻略しなければならなかったのか
です。
それは
203高地は 旅順港を見渡せる高地です。
この旅順港には バルティック艦隊が来るまで 旅順艦隊が待機しているのでした。
バルティック艦隊が日本海へ近づいた時に 旅順艦隊も合流することで
とてつもない巨大艦隊が出来上がってしまうのです。
それで日本軍は この203高地を 攻め落とし この高地から眼下の 旅順艦隊に向けて攻撃して旅順艦隊が合流する前に全滅しようとする作戦をとったのでした。
しかし 203高地の頂上には 強力なロシア陸軍がいるのです
草木も無いようなはげ山を下から昇って攻撃をしなければならないのですが
ロシア軍からすると 隠れる場所もないところから無防備な日本軍が上がってくるのですから 簡単に撃ち殺し 何度も波状攻撃をかける日本軍は みるみる死体の山が出来る
惨状でした。
この時 203高地攻撃の司令官が 乃木希典です。
六本木の隣にある乃木坂 乃木神社は、 この乃木希典の住居跡なんです。
乃木大将が 正面から数万の兵隊を送るのでが 203高地の奪還はできません
当時日本国内では 乃木は無能だと 更迭しろとの意見が多数出るのですが
乃木大将自身の息子もこの戦闘で激烈なる戦死を遂げていることで
わが子までも激戦地に赴かせたことで 国内世論は少し同情的になり
とにかく 戦況を見守っていたのでした。
そこから 何度も激戦を繰り返しながら
結果 勇猛果敢な日本軍は 203高地を激戦の末陥落させるのでした
その時 無線のやり取りに陥落の様子が凝縮されていますが
観測兵:「203高地山頂、高崎山、応答願います」
児玉:「そこから旅順港は見えるか?」
観測兵:「見えます! 丸見えであります!」
意味わかりますよね。
山頂を制覇したした観測兵と
当時の満州軍参謀総長の 児玉源太郎とのやり取りです
これで多大の犠牲を払ったことで 眼下の旅順艦隊攻撃が可能になるのでした。
数万人の兵隊の犠牲の上に成功した作戦で これで 一件落着とは
行かなかったのです
ここで まだ 大きな問題が残っていました
その問題とは??
明日に続く