EXECUTIVE BLOG
2020.6.26
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは
その昔 県庁の職員が規則に縛られたせいで
県庁近くの火事に際して
緊急で駆け付けた消防隊員にたいして
消火栓使用許可を総務課で取ってから 消火活動を
行えと言った話でした。
緊急事態における規則は守るべきかと言う議論も
当時行われたようです。
皆 前例があると動けるのですが 前例がないものに対しては
躊躇してしまうのでしょうね
役所体質と言われるのは 前例主義だからで 何か大きな事が起きないと
改革が行われない気がします。
さあ
そこで
今日の話は 我々の常識では考えられない話で
規則や命令を遵守した今から46年も前の話です。
もう覚えてない方もいらっしゃるでしょうし
忘れた方もいるかと思いますが
戦後29年経って 日本も高度成長経済で 戦争とは無関係と
思っていた時の話なんです
ご承知の通り 昭和20年8月15日に 太平洋戦争は日本の無条件降伏と言う形で
終戦を迎えました。
明治以来 一度も敗戦を経験したことが無かった日本人にとって
これはありえない出来事だったのです。
そして この8月15日以降は それまでとは全く違う様式に社会は変化し
日本は帝国主義から民主主義へと移行していくのです。
我々の今の平和な生活は戦争で犠牲になった方々の上に成り立っているので
この事は感謝を忘れてはならないのです。
この昭和20年8月15日までは 日本は帝国憲法下にあり
天皇を中心とした国家でした。
その中でも 軍隊はすべて天皇に属しており
上官の命令は天皇の命令と同じで どんな事があっても守らなければならなかったのです。
それがどんなに理不尽な命令と分かっていても 守らなければならかったのです
連合軍が提示した ポツダム宣言も 軍部はあくまで聖戦遂行と決心し
当時の政府が提案するポツダム宣言受諾を断固拒否したのです。
閣議において 陸軍が断固反対してしまえば 終戦決定はできません
当時の陸軍は 反対を貫き通せば 内閣は総辞職をしなければならず
そこで 戦争遂行派の首相が指名されれば 戦争は遂行できると考えていたのです。
幾ら閣議で討論を繰り返しても結論がでなかったので
当時の首相は 天皇陛下に対して御前会議で意見を求めたのでした。
これには 陸軍大臣も海軍大臣も驚きを隠せませんでした
常識であれば 閣議で決まった事を天皇陛下に報告をするのですが
この時 鈴木総理は非常識の手段を用いて 天皇陛下に意見を求めたのでした
意見を求められた天皇陛下は 求められたので答えると言う形で
これ以上の戦争継続は不可能ではないかと意見を述べられたのでした。
この事で 陸軍大臣や海軍大臣が 軍内部をまとめるが大変であれば
天皇自らが兵に対して話をするとまで言われたのでした。
当時の軍部とくに陸軍は 聖戦遂行が決定事項でしたので
陸軍大臣が それを破って 終戦にしようとは言えない事を 天皇はわかっていたのです。
それに対して 阿南陸軍大臣は 天皇陛下に対して そんなことをお願いしますとは
言えるはずがありません。
陸軍海軍の両大臣は 自分の責任を持って内部を説得すると申し出たのです。
今回の話は昭和49年の非常識な話を書く予定ですが
その為には 少し 当時の様子を分からなければならないと
思い 話が終戦の日の話が続きますが
この話の続きは
また
明日へ、、。