EXECUTIVE BLOG
2020.1.27
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは
何故 私が 国際会議まで出席できるようになったのか
東京での交流会での話とかでしか。
本日は そこからの話です。
東京でいろいろな 交流会に誘われて行くのですが
そこでわかった事は
それぞれの会に行くと 大体誘ってくれた方々と同じくらいのビジネスをされて
いるケースが多いのです。
中小企業の方が多い方が集まる会は そういう方々が
IT関係の方が多い会は そう方々が参加されていて
一部上場企業のかたや 高級官僚の方はほとんどいませんでした。
これでは 本当の意味で勉強会にはならないのでは と ずっと思っていました。
そんなことを考えていた時に
ある 大手商社に勤務されていた方から 今回参加させて頂いた
世界的な会議があることをお聞きしました
最初はオブザーバーでその会議に参加させて頂いたのですが
当然そこには 高級官僚や大手企業の方々ばかりで その席で
ITの話や戦略の話が出るのですが
そういう話は 普段は絶対に触れることが出来ない内容でした。
それで こういう話も 我々中小企業にも聞けるような機会を
与えて頂けないかと言う話をさせて頂いたのでした。
中小企業の経営者は なかなか大企業の方とのお付き合いが出来ませんし
大企業の方々も 中小企業経営者の話を聞くと言う機会が少ないのでは
思い
これらが融合できる 会合をお互いに必要ではないかと提案させて頂いたのです。
我々中小企業からすると 大企業の戦略や運営手法は非常にためになりますし
逆に 大企業からすると 我々中小企業の柔軟な考え方などが為になると思ったのです。
そういうことから
今回の世界的組織の中で 日本だけ
その組織の中に イノベーション交流会と言うものを位置づけすることが出来たのでした。
これは 今回の 太平洋電気通信協議会としても 初めての試みで
世界的な企業の会合の中に 日本だけ特別に 中小企業を中心としたグループを
立ち上げることに賛否両論あったようですが
なんとか 設立までにこぎつけたのが5年前でした。
そうして 5年間の活動を通じて やがて 世界的にも求められる組織になり
今回は 世界会議の中で 日本モデルと言う感じで世界に紹介され認めて頂けるまでに
なりました。
最初のきっかけは 中小企業と大企業の出会いの場的な交流会が無いことから
の思いで 立ち上げたものがここまで来れたことは大変うれしく思ってます。
しかし 5年間は順調ではありませんでした
それは、、。
明日に続く、。。