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社長&顧問ブログ

2021.6.17

機銃掃射

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日は ITの話をしなければならないところから

6月と言えば 沖縄の終戦記念日だと言う話に逸れて

沖縄では 6月23日が 実質の戦闘終了の日になると

言う話でした。

 

昭和20年から始まった 米軍の総攻撃で

沖縄に鉄の雨が降ったと言われるほどの爆弾が降り注がれ

多くの市民が犠牲になってしまったのです。

 

更に 兵士が市民の防空壕に逃げ込んだために

米軍から塹壕に対して容赦なく火炎放射器で攻撃されてしまい

ここでもまた 多くの一般市民が犠牲になってしまったのです。

 

戦後も もう76年も経ちますと 戦争経験者も少なくなってしまい

このような惨劇が起きた事を忘れられているようです。

 

まだ 私世代は 祖父や父が戦争に従軍していましたので そのような話は

日常よく聞いていました。

 

私の母から聞いた話は

母がまだ小学生の頃に アメリカ軍の戦闘機グラマンが突如襲ってきて

なんと子供たちめがけて機銃掃射を行ったそうなのです

母たちは 必死で逃げますが 飛行機からの射撃弾がどんどん撃ち込まれてきます

もう駄目だ!!と思った瞬間

目の前にあった電柱の陰に隠れたそうです

グラマンからの銃撃弾はその電柱に食い込み 後ろに隠れていた母は助かり

ホッとしていると 飛び去って行ったと思ったグラマンが クッルと向きを変えて

今度は隠れていた方に向かって撃ち込んできたそうです

 

それで 又慌てて反対の方に身を隠す事で 敵弾から身を守るという事を

何度か繰り返した後に グラマンは諦めて去って行ったそうなのですが

 

ホッとしてあたりを見渡すと 逃げ遅れた同級生数人が 敵弾を受けて亡くなっていたそうです。

 

まだ小学生の子供がそのような光景を目の当たりにしてどのように感じたかと思うだけで

恐ろしくなります。

 

しかし 沖縄では 米兵が上陸しての攻撃ですから 徹底的に攻撃をされて

隠れているだと思う塹壕に片っ端から 火炎放射器を浴びせて行くのです

勿論そこには 女子供も沢山いたわけですから 多くの方が犠牲になり

そして 生き残った人はそれを目の前で見たのですから いまだにその光景は

目から離れないと言われていますね

 

しかし 彼らにその事を聞いても多くは語ろうとしません

 

ただ 戦争は怖いものだ 絶対戦争は起こしては駄目だと口をそろえて話していますね

 

戦後も76年経ち 今ではボタン一つでミサイルが飛んでくる時代ですが

我々は この悲惨な戦争を繰り返してはならないと思います。

 

沖縄ではやはり多くが語られない ひめゆり部隊の話がありますが

 

その話は

 

明日に続くのか

 

それとも 先日の話の続きの

博多の街で見た 戦争の名残りを発見した話になるのか??

 

 

それは

 

明日に続く、、、。

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