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社長&顧問ブログ

2021.10.29

芸術の秋に思う

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

色々な事に興味を持つことで 今まで当たり前だと思っていた事にも

それには訳があるのだと言う話でした。

 

広瀬中佐の銅像撤去の理由や 万世橋駅の秘密の地下室の謎についても

中途半端のままですが

 

今日は

何故 パリが芸術の都に なったのか? と言う話の

続きをしなければなりませんね

 

画家や作家が 何故 パリを目指すのかという事にかんして

さほど興味は無かったのですが

それが 当たり前なのだろうとしか思っていませんでした

 

しかし 先日の 文化勲章受章のニュースを見て

ふと 何故秋が 芸術の秋と呼ばれたのか?? と思うと同時に

何故 パリが芸術の都なのか??? と言う疑問を持つことになったのです

 

簡単に言うと 芸術の世界も金次第という事みたいで

 

それまで ローマとかで芸術は発展していましたが

芸術家を育てるサロンのようなものがあり そこのスポンサー目当てに

世界中から 芸術家が集まったと言うのが本当の様です。

 

一度 その流れが出来てしまうと 何か パリに芸術家が集まると言う事が

常識化してしまい 別にパトロン探しでもない芸術家が 単に憧れのパリを目指したのではと考えてしまいます。

皆が皆 最初からお金目当てではなく 優秀な芸術家と交流するうちに 自分の腕も

磨かれて行ったのではないでしょうか?

 

フランスの歴史は詳しくはありませんが、

 

1589年にブルボン王朝がひらかれ王権の強化がはかられ、

農業と牧畜が奨励され内政に力が注がれたその結果、

ルイ14世の時代には重商主義政策のもとに、生産物の輸出と保護関税政策によって貿易を保護し、財政収入の増大をはかり、積極的な植民地活動が展開されていきました。

 

今も昔も余剰があって文化が発展しますね、

そしてヴェルサイユ宮殿の建設の頃から、フランスが文化の中心となって発展することになったようです。

 

こうして  芸術の話をしていると ロココ調とは何か?

とか 興味は尽きませんが

 

芸術に起きましても

時代の変化、新しい流れはせきとめるとは出来ず

意識も緩やかに変化していくのですね。

 

印象派の絵画とかは 最初は受け入れられなかったと聞いていますが

一旦権威付けされると それが価値を産むのだと思います。

 

このまま 芸術の話に流れると

万世橋の話に戻れなくなってしまいますね

 

でも まだまだ調べたいことが沢山あるのです

例えば

凱旋門の謂れとか?

ヒトラーが フランス侵攻した時に 「パリは燃えているか!!??」 と叫んだと言われていますが どういう意図でそう叫んだのか???とか

 

 

いやいや

 

明日は

万世橋駅の秘密の地下室の話に戻そうと思います

 

その

秘密の地下室にあったものとは?????

 

それは??????????

 

明日に続く、、、。

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