
EXECUTIVE BLOG
2026.10.24
高光産業株式会社
妹尾八郎です
今日は番外編として、カボチャの話しに、、、
甘辛く煮付けられたかぼちゃは、
昔から日本の食卓で親しまれてきた料理の一つですね。
私たちにとって、あまりにも身近な野菜ですから、
特別なことを考える機会もありません。
ところが、昨日のハロウィンの話から、
かぼちゃの歴史を調べ始めたところ、
何とも意外な事実に出会いました。
そもそも「かぼちゃ」という名前は、
どこから来たのでしょう?????。
漢字では「南瓜」と書きます。
南の瓜と書くのですから、
きっと南の暖かい国から伝わってきたのでしょう。
そう考えて調べてみると、
何と「カンボジア」という国の名前が関係していたのです。
カンボジア。
東南アジアにある、あのアンコールワットで有名な国です。
カンボジアがなまって、かぼちゃになったというのです。
これには驚きました。
それなら、かぼちゃはカンボジアで生まれた野菜なのだろう。
そう思ったのですが、実は違いました。
かぼちゃの原産地は、遠く離れたアメリカ大陸だったのです。
しかも、その歴史は驚くほど古いものでした。
メキシコでは、数千年以上も前の地層から、
かぼちゃの仲間の種が見つかっています。
つまり、古代の人々は、
私たちが想像するよりもはるか昔から、
かぼちゃを育て、食料として利用していたのです。
今のような農業機械も、品種改良の技術もない時代です。
それでも、人々は種をまき、育て、収穫し、
また次の年のために種を残していました。
そうした営みが、何千年もの間、繰り返されてきたのでしょう。
私は、ここで一つのことを考えました。
今、私たちが何気なく食べている野菜も、
最初にそれを育てようと思った人がいたはずです。
そして、
おいしく食べられるものを選び、育て方を工夫し、
次の世代へ伝えてきた人々がいた。
その長い積み重ねがなければ、
今の私たちの食卓には並んでいなかったかもしれません。
さて、
そのかぼちゃが、どのようにして日本までやって来たのでしょう???。
話は今からおよそ五百年前、戦国時代の日本へと移ります。
当時の日本には、ポルトガルなどの外国船が訪れるようになり、
さまざまな品物や文化が海を渡って伝えられていました。
鉄砲が伝わり、キリスト教が伝わり
、南蛮貿易が盛んになっていった時代です。
そんな中、16世紀の中頃、ポルトガル船によって、
かぼちゃが九州へ持ち込まれたとされています。
そして、
豊後国、現在の大分県を治めていた大友宗麟に
献上されたという説が残っています。
大友宗麟といえば、キリスト教を受け入れ、
南蛮貿易にも積極的だった戦国大名です。
歴史好きの方なら、ご存じかもしれません。
その大友宗麟に、
見慣れない野菜が届けられたというのです。
当時の人々には、
それがカンボジアから来た瓜の仲間だと伝えられたそうです。
その呼び名が、
やがて「かぼちゃ」になったといわれています。
何とも面白い話ではありませんか。
アメリカ大陸で育てられていた野菜が、海を渡って世界へ広まり、
カンボジアの名前とともに日本へ伝わってきた。
もし、そのとき違う国の名前で紹介されていたら、
私たちは今、かぼちゃを別の名前で呼んでいたかもしれません。
名前一つにも、偶然のような歴史が隠されているのですね。
ところが、
調べているうちに、さらに意外なことが分かりました。
日本には
「日本かぼちゃ」と「西洋かぼちゃ」という種類があります。
当然、日本かぼちゃの方が日本原産なのだろうと思いませんか。
しかし、そうではありませんでした。
日本かぼちゃも、もともとはアメリカ大陸に由来する野菜なのです。
先に日本へ伝わり、
長い間、日本各地で栽培されてきたことから、
日本かぼちゃと呼ばれるようになりました。
一方、現在スーパーなどでよく見かける、
甘くてホクホクしたかぼちゃの多くは、
西洋かぼちゃという種類です。
こちらは19世紀に日本へ伝わり、
その後、日本人の好みに合わせて広く栽培されるようになりました。
つまり、私たちが日本の味として親しんでいるかぼちゃも、
実は長い年月をかけて、
外国から日本の食卓へ迎え入れられたものだったのです。
私は、この話を知って、少し考えさせられました。
日本のものだから、日本で生まれたものだろう。
昔からあるものだから、きっと最初から今と同じ姿だったのだろう。
私たちは、ついそう思いがちです。
しかし、
歴史をたどってみると、必ずしもそうではありません。
遠い外国で生まれたものが、
海を渡り、日本の風土に合わせて育てられ、
いつの間にか日本の文化の一部になっている。
そうしたものは、
私たちの身の回りにも、案外たくさんあるのかもしれません。
そして、かぼちゃの歴史には、もう一つ忘れてはならない話がありました。
それは、戦争中から戦後にかけての日本です。
食料が十分に手に入らなかった時代、
人々は少しでも食べるものを確保しようと、
さまざまな工夫を重ねていました。
町の空き地などでも、かぼちゃが栽培されていたそうです。
かぼちゃは比較的育てやすく、収穫量も多い野菜です。
しかも、
保存が利くため、食料の乏しい時代には大切な存在でした。
今では、
かぼちゃの煮物が食卓に並んでも、それほど珍しいことではありません。
しかし、
食べるものにも困っていた時代には、
その一切れが、どれほどありがたかったことでしょう。
私は、そんな時代の食卓を想像してみました。
決して豊かではない暮らしの中で、
ようやく収穫できたかぼちゃを煮る。
鍋から湯気が立ち上り、家族がその周りに集まってくる。
豪華な料理ではありません。
けれど、今日も食べるものがある。
そのことだけで、ほっとした人々もいたことでしょう。
もちろん、これも私の想像です。
しかし、
かぼちゃが戦中戦後の人々の食生活を支えてきたことは、
確かな歴史の一つです。
そして、そんな話を知ると、
普段何気なく食べているかぼちゃの煮物が、
少し違って見えてきます。
何千年も前のアメリカ大陸で育てられ、
五百年ほど前に日本へ伝わり、
戦争中の人々の空腹を満たし、
今では秋の味覚として親しまれている。
あの小さな一切れの向こうに、
これほど長い歴史があるのです。
食べ物というものは、
ただお腹を満たすだけではないのかもしれません。
それを育ててきた人々の知恵や、厳しい時代を生き抜いた人々の記憶も、
どこかに受け継いでいるような気がします。
そして、もう一つ。
かぼちゃは、外国から来たからといって、
日本で受け入れられなかったわけではありません。
むしろ、
日本の気候や食文化に合わせて、
さまざまな品種や料理が生まれてきました。
もともとどこの国のものだったかということよりも、
そこで暮らす人々が、どのように育て、大切にしてきたか。
その積み重ねが、
今の「日本の味」を作ってきたのでしょう。
私は、
今回のかぼちゃの話から、そんなことまで考えさせられました。
さて、ハロウィンのかぼちゃから始まった今回の話しも、
思いがけず話が逸れてしまいました、、、、。
アメリカ大陸からヨーロッパへ。
そして、遠く日本へ。
たった一つの野菜が、これほど多くの国々と人々をつないできたのです。
ところで、
ハロウィンについては、まだ一つ、大きな疑問が残っています。
かぼちゃの顔が怖い理由は、ジャックの伝説から何となく分かってきました。
しかし、なぜ人間まで、お化けや魔女の格好をするのでしょう????。
お祭りなのですから、もっと華やかな衣装でもよさそうなものです。
それなのに、
わざわざ恐ろしい姿に変装して、人々を驚かせたり、楽しませたりする。
そこには、いったいどのような歴史があるのでしょうか?????。
その話しは????・
明日へ続く、、、、、、、。。。。。