
EXECUTIVE BLOG
2026.10.27
高光産業株式会社
妹尾八郎です
りんごの皮を、途中で切らずに一本につなげてむく。
そして、
その長い皮を肩越しに後ろへ放り投げる。
床に落ちた皮が、何という文字に見えるか??。
実は、これが昔のヨーロッパで行われていた、
恋占いの一つだったそうです。
ハロウィンの歴史を調べていて、
私は何とも面白い習慣に出会いました。
床に落ちたりんごの皮が、
アルファベットの「J」に見えたなら、
将来結婚する相手の名前はJから始まる。
「M」に見えたなら、
Mから始まる名前の人と結ばれる。
そんなふうに、
これから出会う相手や、
将来の結婚相手を占っていたというのです。
何とも素朴で、可愛らしい占いではありませんか。
今の私たちからすれば、
りんごの皮の形で未来が分かるはずはないと思うでしょう。
けれど、昔の若者たちは、
ハロウィンの夜になると、こうした遊びを楽しんでいたそうです。
そもそも、なぜハロウィンに恋占いをするのでしょう????。
昔のアイルランドやスコットランドでは、
ハロウィンの夜は、
普段とは違う不思議な力が働く特別な時間だと考えられていました。
そのため、
この夜なら未来を少しだけのぞくことができるのではないかと、
人々は考えたのでしょう。
そして、
秋に収穫されるりんごや木の実が、
その占いに使われるようになったのです。
面白いことに、りんごを使った占いは、ほかにもありました。
ハロウィンの真夜中、鏡の前に座り、
りんごを食べながら髪をとかす。
すると、鏡の中に、
将来の結婚相手の姿が現れるという言い伝えです。
また、大きな桶に水を張り、
そこに浮かべたりんごを、
手を使わずに口だけで取る遊びもありました。
今でも欧米のハロウィンで知られる
「アップル・ボビング」という遊びです。
昔は、
こうしたりんご遊びが恋や結婚の占いと結びつくこともあったそうです。
考えてみれば、何とも不思議ですね。
昨日までは、悪魔や魔女の恐ろしい話でしたが、
今度は若者たちの恋の話にもなりました、、、。
同じハロウィンの夜に、
人々は怖いものを恐れながら、
同時に自分の幸せな未来を夢見ていたのです。
ところで、
このような風習が実際にあったことを伝える、興味深い人物がいます。
それが
スコットランドの詩人、ロバート・バーンズです。
日本ではそれほど馴染みがないかもしれませんが、
彼はスコットランドを代表する詩人で、
「蛍の光」の原曲として知られる
『オールド・ラング・サイン』の歌詞にも関わった人物です。
そのバーンズが、
1785年に『ハロウィン』という詩を書いているのです。
今から二百四十年以上も昔のことです。
その詩には、農村の若者たちが集まり、結婚相手を占ったり、
不思議な遊びを楽しんだりする様子が、生き生きと描かれています。
中には、鏡の前でりんごを食べ、
将来の恋人の姿を見ようとする話まで登場します。
私は、この詩の存在を知って驚きました。
今では子どもたちの仮装やお菓子のイメージが強いハロウィンですが、
昔は若い男女にとって、
自分の恋の行方を想像する特別な夜でもあったのです。
そこで私は、
二百年以上前のスコットランドの農村に思いを巡らせてみました。
秋の収穫を終えた、小さな村の夜。
家の中では暖炉の火が燃え、若者たちが集まっています。
テーブルの上には、収穫したばかりのりんごや木の実が並んでいます。
一人の娘がりんごを手に取り、慎重に皮をむき始めます。
周りの若者たちは、その様子を興味津々で眺めています。
途中で皮が切れそうになると、思わず声が上がります。
「もう少し、もう少し!」
ようやく一本の長い皮ができました。
娘は少し緊張した様子で、それを肩越しに放り投げます。
くるくると回りながら、床に落ちるりんごの皮。
みんなが一斉にのぞき込みます。
「これは、何という文字だろう?」
ある人は「S」に見えると言い、
別の人は「C」ではないかと言い出します。
そのうち誰かが、娘の隣に座っている若者の名前を口にします。
途端に、娘の顔が赤くなります。
周りからは笑い声が上がり、
名前を出された若者も、照れくさそうに笑っています。
もちろん、これは当時の風習から私が想像した光景です。
けれど、きっと、こんな微笑ましい場面が
あちらこちらで繰り広げられていたのではないでしょうか。
私は、そんな様子を思い浮かべながら、一つのことを考えました。
昔の人々は、今の私たち以上に、
自分の未来を知りたかったのかもしれません。
自由に職業を選ぶことも、好きな土地へ移り住むことも、
現在ほど容易ではなかった時代です。
結婚もまた、
本人の気持ちだけでは決められないことが少なくありませんでした。
家の事情や、親の意向、経済的な問題など、
さまざまなことが関わっていたのでしょう。
だからこそ、せめてハロウィンの夜だけは、
自分がどんな人と出会い、どんな人生を送るのか、
自由に想像してみたかったのかもしれません。
好きな人と結ばれるのだろうか。
遠い土地へ嫁ぐことになるのだろうか。
それとも、
まだ出会ったことのない誰かが、自分を待っているのだろうか。
そうした思いを、
一本のりんごの皮に託していたのでしょう。
私は、ここに何とも人間らしいものを感じました。
時代が変わっても、人は自分の未来を知りたいと思うものです。
若い頃には、
どんな仕事に就くのだろうかと考えます。
好きな人ができれば、
この人と一緒に人生を歩むことになるのだろうかと考えます。
そして年齢を重ねれば、
これから先、どんな日々が待っているのだろうかと思うこともあるでしょう。
誰にとっても、未来は分からないものです。
けれど、私は今回の恋占いの歴史を調べながら、
少し違ったことを考えるようになりました。
もし、これから先の人生が、すべて分かってしまったらどうでしょう。
何歳のときに誰と出会い、どんな仕事をして、どんな出来事が起こるのか。
それが最初からすべて分かっていたら、果たして人生は面白いのでしょうか。
もちろん、
つらい出来事を避けられるなら、それに越したことはありません。
しかし、
人生には思いがけない出会いや、予想もしなかった喜びもあります。
何気なく出かけた先で、人生を変えるような人と知り合うことがあります。
偶然聞いた一言が、新しい仕事を始めるきっかけになることもあります。
そして、
最初は何の関心もなかったことが、いつの間にか自分の人生にとって、
大切なものになっていることさえあります。
振り返ってみれば、私自身にも、そんな経験がいくつもありました。
若い頃には、
今の自分がこのようなことをしているなど、
想像もしていなかったのです。
さまざまな人と出会い、思いがけない出来事に巡り合い、
そのたびに新しい道が開けてきました。
もし最初から自分の人生がすべて決まっていて、
その通りに進むだけだったなら、
これほど多くの発見や出会いを楽しむことはできなかったかもしれません。
そう考えると、未来が分からないということは、
不安であると同時に、楽しみでもあるように思います。
二百年以上前のスコットランドの若者たちに話を戻しますが、、、
床に落ちたりんごの皮を見て、誰かの名前を想像する。
その名前が、
自分の好きな人の名前と同じだったら、
きっと胸が躍ったことでしょう。
違う文字だったら、
少しがっかりしたかもしれません。
けれど、
その占いの結果が、実際の人生を決めたわけではありません。
大切だったのは、
りんごの皮が描いた文字そのものではなく、
その夜、
若者たちがどんな気持ちで
未来を思い描いていたかということだったのでしょう。
そして、私はこんなことも考えました。
あの夜、占いの結果をきっかけに、
勇気を出して好きな人に話しかけた若者もいたかもしれません。
それまで遠くから眺めているだけだった相手と、
初めて言葉を交わした人もいたでしょう。
だとすれば、未来を変えたのは、
りんごの皮ではなかったことになります。
ほんの少し勇気を出して、自分から一歩踏み出したこと。
それが、
思いがけない未来につながったのかもしれません。
何とも素敵な話ではありませんか。
今回のハロウィンの歴史を調べながら、
私は、りんご一つにも、
これほど豊かな人間の物語が隠されていることを知りました。
そして、もう一度、あの昔の若者たちの姿を思い浮かべました。
暖炉の火に照らされながら、りんごの皮を囲んで笑っていた人々。
その一人一人にも、
それから先の長い人生があったはずです。
占いが当たった人もいれば、
まったく違う人生を歩んだ人もいたでしょう。
けれど、あの夜、友人たちと笑い合った時間だけは、
きっと誰にとっても楽しい思い出になったのではないでしょうか。
未来の幸せを夢見ることも素晴らしい。
けれど、
今、目の前にある幸せに気付くことも、
同じくらい大切なのでしょう。
ハロウィンの話しも古代ヨーロッパから始まり、
さまざまな時代や国々を訪ねてきましたが、
次はいよいよ日本へ戻ってみたいと思います。
私が子どもの頃には、ほとんど見かけることのなかったハロウィン。
それが、
いつの間にか日本中に広まり、今では秋の大きな行事になっています。
いったい、いつ、誰が、このお祭りを日本に広めたのでしょう??????。
そして、
日本人は、なぜこれほどハロウィンを楽しむようになったのでしょうか?????。
そこには意外な歴史が!!?????
の話しは
明日へ続く、、、、、、。。。