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社長&顧問ブログ

2021.8.5

八月十四日の御前会議

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは いよいよ終戦に向けて大詰めの動きになってきた話でした。

そんな中 陸軍は無条件降伏ではなく 少しでも日本に有利な条件を引き出さなければ

天皇陛下の地位含めて 国体は護持できないのではと

あくまでも 終戦派に抵抗をするのですが

その天皇自身が ポツダム宣言受諾に向けなさいと言われてしまい

阿南陸軍大臣としては これ以上の反対は 天皇の大御心に反すると考え

受諾へと考えを方針するのです。

 

しかし その一方で 戦争絶対継続との意見を持った軍人が多数居るので

その扱いにも苦慮している中

総理室から陸相官邸に帰った 阿南陸軍大臣を待ち受けていたのは

若手将校によるクーデター計画書だったのです。

 

そのれには 使用兵力と使用方針 更には目的と方法が書かれていました。

 

使用兵力として東部軍と近衛師団を使うこと 使用方針は 宮城と和平派用心を遮断し

する事、 目的としては 国体護持に関する我が方の条件に対する確証を取るつけるまで

降伏をせず交渉を続けること、 方法として 陸軍大臣の行う警備上の応急局地出兵権を持って発動するとなっていたのです。

これに加えて 実行に際しては 陸軍大臣 陸軍参謀総長 東部軍司令官 近衛師団長の

4者が一致することが条件にあったのです。

 

ついに来るべき時が来たと言う思いで陸軍大臣はこれを読み直し

この計画を支持するともしないとも言わなかったのです。

 

若手将校らは この計画を必死に訴え 14日午前10時に予定されている閣議に乱入して和平派を監禁して例え逆賊の汚名を着ようとも天皇に考えを変更するように迫ろうと考えていたのです。

若手将校らは 14日午前中に決行すると訴え 陸軍大臣に迫るのですが

阿南大臣は議論を尽くすのですが 陸軍省において決心を内示するという事で青年将校たちを一旦帰すのでした。

しかしこの時には 阿南陸軍大臣はクーデターに訴えても国民の協力は得られない本土決戦などは至難だと考えていたのでした。

 

そして その14日の朝を迎え 鈴木首相は 前日 閣議で重ねてご聖断を仰ぐと言ったものの その御前会議をどのように開くかを苦慮していたのです。

それは 陸軍海軍の許可が無ければ開けないのであって 前回までのようにだまし討ちの方法での開催した手の内は 軍部にばれていてその手が通用しないからでした。

 

御前会議で最終結論を得られなければ 又閣議は同じことの繰り返しになってしまうと

思っていた時に ある妙案が浮かんだのでした

それは 天皇陛下のお召しによる御前会議と言う方法だったのです。

 

これは 昭和十六年12月1日の開戦決定の御前会議以来行われていなかった

最高戦争指導会議の構成員と閣僚全員が参加する合同の御前会議を 正式な御前会議としてではなく あくまでも天皇陛下のお召しによると言う ここで又ウルトラCの手を使ったのです。

 

天皇は一番偉かったのだからなんでも自分で命令すれば良いではと勘違いする人が

今では多いですが この時代でもきちんと 決められた手続きを踏まなければならなかったのです この時の手続きとは 軍部の許可という事で  戦争終結の為の会議など

彼らが開かせるわけはないと考えた首相が急遽思いついた案だったのです。

 

そして 八月十四日 午前十時十五分 御前会議は開かれることになったのです。

冒頭 鈴木首相は これまでの 最高戦争指導会議では議論を尽くしたが結局議論が出なかったことを伝え 軍部からの意見も聞いた上で ご聖断を仰ぎたいと天皇陛下に

お願いをすることになったのです。

意見を求められた天皇陛下は 静かに立ち上がり

 

自分の意見を その会議で述べることになったのでした

 

このお言葉により

一気に終戦への動きは加速するのですが

 

ここで 陛下は 何を申し上げたのか???

 

それは、、、

 

明日に続く、、、、。

 

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