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社長&顧問ブログ

2022.8.7

十銭ストア

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 話があちこちに飛んでしまってました。

トロリーバスが 昔都内でも走っていた話から

神田須田町は昔は 交通の要所で 都電のターミナルになっていました。

又 その後 地下鉄が走ると神田駅の地下には 日本で最初の 地下街があったと言う話でした。

この地下街は 最後まで営業していた散髪屋さんが 店を閉じてからは

昔の面影が残っていません。

 

現存する地下街としては 浅草の地下街はいまだに 昭和の雰囲気を醸し出していますね。

 

神田の地下街には 今で言う 100円ショップならぬ 10銭ショップがあったのを

ご存知の方は殆ど居ないと思います。

 

今では 銭は市場で流通していませんから 見た事もないかと思います

因みに 10銭は一円の十分の一の値段です 百銭が一円という事になります。

 

今考えますとめちゃくちゃ安いですが 一体10銭ショップには何が売られていたのでしょうか?

その前に100円ショップについて、、、、。

 

いまや生活者にとって不可欠な存在になった「100円ショップ」は

巷では「100円均一」とか「100均」などの略称で定着していますね。

 

この種の業態が登場したのは、おおよそ1960年代以降と言われます。

まず1960年代にスーパーマーケットなどの「催事販売」として、

100円均一商品を売る業者が現れたのが、そもそもの始まりでした。

 

1980年代に入ると「店舗」としての100円均一商品の販売店が登場してきました。

これが「100円ショップ」を名乗ったのです。

1990年代以降になると、この業界に参入する企業も増加して、

ザ・ダイソー、キャンドゥ、セリアなどのブランドがしのぎを削るようになってますね。

 

そんな「100円ショップ」と同じような業態が、

実は「昭和初期」にも存在していたのですよ。

その名は「十銭ストア」と言っていたそうです。

 

これは生活雑貨や文房具品などを10銭均一で販売する店舗のことで、

当時の小売業界では画期的なビジネスモデルだったようです。

そして 読み方は じゅっせんストアではなく てんせんストアと呼んでいたそうです。

 

十銭ストアを日本で初めて展開したのは、なんと百貨店の「高島屋」との事です。

まず1926年(大正15年)に、

高島屋は大阪長堀店において「なんでも10銭均一売場」を展開したのが始まりのようで、

これがたちまち人気を博したそうです。

ちなみに当時の10銭はキャラメル1箱や、駅の入場券ほどの価値だったと言われていますので 当時の貨幣価値が分かりますね、、、。

 

では、

当時の十銭ストアがどんな商品を売っていたのかを調べてみますと、

現代の100円ショップに負けずとも劣らない、

実に豊富な品揃えをしていたようです。

因みに

高島屋が展開していた10銭均一商品は

折り紙・大学ノート・墨汁・鉛筆などの各種文房具。

タオル・ハンカチ・布巾などの「衣料雑貨」。

石鹸・櫛・鏡などの「化粧雑貨」。

子ども用靴下などの「子ども雑貨」、

絹糸・針山などの「手芸品」、

花瓶・陶器などの「容器」、タワシ・キセルなどの「日用品」、

爪切り・フォーク・缶切り・ノコギリなどの「金物」、

等など他にも沢山あったようです

 

こうして見てみますと、

現代の100円ショップと昭和初期の十銭ストアが取り扱う商品のジャンルには、

さほど大きな違いはないように感じます。

 

では この十銭ストアは

 

何故 テンセンストアと呼ばれていたのか????

 

それは??????

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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