EXECUTIVE BLOG
2022.6.1
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 三谷幸喜脚本の NHKドラマ 新選組を見て
歴史も面白いと感じたと思いだしたと言う話でした。
中学とかで習う歴史は 何年に何々が起きた的な話ばかりだったので
興味も湧かなかったのでしょうが
そこに人間ドラマがあるとわかると俄然興味も湧いてきますね。
先日までは 長州と会津がいまだに仲が悪いと言う話を書いていましたが
その長州が 何故御所を守っていた会津側を攻めたのか??とか
その御所を一緒に守っていた薩摩とは 最後は薩長同盟を結んで 戊辰戦争で
は会津を攻撃するようになったのか??? とか
ここらあたりの裏を見て見ないと 何がなんだか分からなくなりますね
そして 天皇側と思われた 長州が何故御所を攻めなければならなかったのか??とか
も興味も湧きますし
この時の事変を 禁門の変と言われているのですが
何故か これを 別名蛤御門の変とも言われているのはなぜか??? とか
裏が分からないと 何が何だか ごちゃごちゃしてしまうだけですね
この禁門とは 皇居の出入り口を意味するのです
という事は 出入りが自由ではなく 厳重な警備がなされている門で
いつもは固く閉ざされている門なのです
それが 禁門の変の時は 長州の攻撃を受けて その門がぱっくり開いてしまったのです。
このぱっくり開いた様子が蛤に似ているという事で
禁門の変の事を 別名 蛤御門の変と呼ばれているのだと言う事なのですが
聞いてしまえば へーですが 単に教科書的な学びでは 全く理解できませんね。
それとか 京都三条駅前にある 高山彦九郎の銅像も 何故御所に向かって土下座しているのか? も それだけでは理解できませんね
この高山彦九郎は 天皇を崇拝していたので
わざわざ 地元の群馬から出て来て 昔の将軍で 足利尊氏は 天皇家に対抗したと言う
思いから 京都まで来て 足利尊氏の墓がある等持院まで行き
その尊氏がけしからんと言うことで 墓を鞭うった事で知られています。
今でなら 単なる変人でしょうが
後年 この高山彦九郎 林子平 蒲生君平は 寛政の三奇人と呼ばれ歴史に名を残す事になるのです。
私としましては この三奇人の中で 一番歴史上重要な役割を果たしたと思うのは
林子平だと思います。
話はあちこち飛んでますが
いずれにしても 新選組に興味を持つことで 日本史が面白いと思い出すのです。
ただ 学校で習う歴史は 思い出してみますと
古い時代から教えて行きますね
という事は 原始時代から やれ縄文がなんやら弥生式土器がなんちゃら とか
からです
これでは興味が湧きませんね
では どうやれば 興味が湧く教え方ができるのか???
を考えた時に
私なりのアイデアがあったのです
そのアイデアとは?????
それは????
明日に続く、、、、、。