EXECUTIVE BLOG
2022.9.21
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 極東軍事裁判の話でした
この裁判が行われた場所は 旧陸軍省で そこにあった大講堂が
戦後 極東軍事裁判所として使われる事になるのです。
軍人達は 自分たちが戦争を指導した場所で 裁きを受ける事になったのですが
その心中はどうだったのでしょう
そして そこで 数多くのドラマが繰り広げられました
先に書いた 妖怪田中隆吉が 数々の偽証を繰り返し 武藤章がその事により
死刑判決を受ける事になったり
文官としては ただ一人死刑判決を受ける事になった 広田弘毅元首相の堂々とした
振舞い
はたまた 死罪を逃れるために 精神異常を演じて 無罪になったある男が居たとかです。
これらの話は 又後日という事で
彼らは 捕らえられて 収監されていた場所が 巣鴨プリズンと言う場所でした。
極東国際軍事裁判により死刑判決を受けた東條英機ら7名の死刑が執行された場所としてその名が日本中に知られる事になったのです。
元々は東京拘置所だったのですが 終戦後 連合軍がこれを接収して
戦犯を収監する 巣鴨プリズンと呼ぶようになったのです。
戦犯たちは ここから 極東軍事裁判所まで往復するのですが
道中A級戦犯たちは 同じバスに乗せられていました。
同じ戦犯とは言え このバスの中で始めて会う同士が居たとも聞いています
そうなると 共同謀議とは 言えないのではとも思ってしまいますが
とにかく連合国はこれら戦争指導者が謀議して 戦争を始めたと
決めつけたかったのでしょう。
この 巣鴨プリズンの中に 処刑場があったのですが
その扉には 13と言う数字が書かれていました。
そのドアを開けると 処刑場になっていたのですが
処刑された7人は 皆 この13番のドアを開けて中に入って行ったのです。
そして この13番のドアは 実は今も 法務省に管理されて残っているのです。
巣鴨プリズン解体後も このドアだけは 残され今も 多分東京昭島の
法務省の施設に残されているのです。
何故 残しているのか?? は分かりませんが
二度と 戦争をしないようにとの戒め為に 連合国の命令で残したのでしょうか?
それは 分かりませんが、
で この 処刑場まであった 巣鴨プリズンは 現在はどうなっているか???
ですが
そこには ある立派なビルが建っています
しかし そのビルでは様々な怪奇現象が出るとも言われています。
その
場所とは??????
は
明日に続く、、、。