EXECUTIVE BLOG
2022.9.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 巣鴨プリズンがあった場所は 今は
池袋のサンシャイン60が建っています。
平和の時代の今 サンシャイン60の場所で 多くの日本人が処刑されていたと
思うと複雑な思いになります。
今日は このサンシャイン60の 60はどこから来たのか???
等の都市伝説の話の予定でしたが
またまた 話が逸れて ここで 処刑された東条英機に関する話をすこし
戦後 東條英機は 日本を敗戦に導いた 極悪人のような扱いを受けていました。
そして 多くの旧軍人達が 彼を軽蔑していたのです。
それは 終戦になり 次々と戦犯たちが捕らえられて行くのですが
東條英機にも逮捕状がでて 確か 用賀の自宅に アメリカ軍の憲兵が逮捕に来た時
東條英機は 自決を図ったのです
自ら拳銃で 自分の心臓目掛けて撃ったのですが 弾は僅かに逸れてしまいました。
自殺を図った東條を 米軍側は 応急手当を行い 大量の輸血を施す事で
助かる事になるです。
が
この事で 多くの旧軍人達は 東條を軽蔑することになるのです。
本来であれば 人の命ですから 助かって良かったと 喜ぶべきところですが
何故 皆 この事で彼を軽蔑する事になったのか???
を 現代人が理解する事は難しいかもしれません、
この理由は
彼が 戦時中の 昭和16年(1941年)1月8日に示達した訓令(戦陣訓)
にあるのです。
この中の一文に
「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う言葉あるのです。
正式には
恥を知る者は強し。常に家門の面目を思ひ、愈々奮励してその期待に答ふべし、
生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すこと勿れ
となっています。
この一文が 戦時中の兵士たちを苦しめる事になったのです
簡単に言うと 戦いに敗れても捕虜になるな! 捕虜になるくらいならば死を選べ!
という事になります。
昔の映像でも出てきますが 特攻隊が 米軍の軍艦の手前で撃墜されて特攻兵が
海に投げされていて それを 米軍が助けようとすると その兵士は 自分の
ピストルで自決してしまったのです。
あるいは 有名な ひめゆりの塔の女学生たちが 次々と高い崖から飛び降りて
自殺をする本当に心苦しい出来事が沖縄でありました。
何故 助かる命を自ら断たなければならなかったのか????
それは 彼らの中に 戦陣訓が叩き込まれていたからなのです
命が助かり捕虜になるよりも 自ら死ねと言う内容の戦陣訓に今で言う
マインドコントロールされてしまっていたのです。
この戦陣訓により 多くの助かる命が落とされて行ったのです。
玉砕と言う名の勇ましい言葉も 裏にあるのは 降伏は許されない
降伏すれば捕虜になってしまう そうなれば自決しなければならない
であるなら 最後の一兵まで戦い全滅を選べという事になってしまったのです。
この命令を出したのが ほかならぬ 東條英機で
出した本人は 生き残って 米軍の捕虜となってしまったわけですから
多くの旧軍人達から 侮辱を受けるのは当然かもしれません
何たる 戦陣訓だと思ってしまいますが
実は この戦陣訓には 大きな意味があったのです。
単に 全滅するまで戦えと言う無謀な命令ではなく
奥には深い愛情があったと言われたら 嘘だろと思いたくなりますね
実は これには深い訳があるのです
その訳とは?????
それは???
明日に続く、、、、。