EXECUTIVE BLOG
2022.4.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 二宮金次郎の銅像の話から
一体 金次郎は何をした人で どのようにして全国民が知るようになったのか?
と言う話でした。
明治天皇は 二宮金次郎の業績を本を読む事で知ることになり
二宮金次郎の銅像を部屋に飾っていたと言われる程金次郎の事を尊敬していたようです。
この事から 明治政府も二宮金次郎の事を広く日本国民に知らせるように動いたようです。
やがて国定教科書の『尋常小学修身書』に金次郎のエピソードが多数用いられるようになり、金次郎は国民的ヒーローとなって、昭和初期から次々と全国の公立小学校の校庭に銅像や石像の金次郎像が設置されていきます。
これは国からの指示ではなく、国民の自発的な思いから広がった動きだったようです。
その金次郎像ですが、銅像タイプは富山県で大量生産されたことや、戦時中に銅像は軍に供出されてほとんどなくなり、戦後は石像ばかりが残ったこと、金次郎の本を持つ手が右か左かなど、ディープな話はいろいろあります。
なお、小学校に設置された金次郎像の第一号は愛知県豊橋市の前芝小学校に今も健在です。コンクリート像であったため、供出を免れたのでした。この日本最古の金次郎像は大正13年に設置されたものです。
豊橋市立前芝小学校の二宮金次郎像は、学校に建てられた日本最古のものですが
前芝出身で後に前芝村長、県会議員、衆議院議員を歴任された加藤六蔵氏が
自分の出身校である前芝の子供たちに
「尊徳の思想を子供たちに伝えたい」という願いから
氏の書生であった藤原利平氏に作成依頼をし昭和天皇御成婚記念として寄贈したのでした。
製作者の藤原利平氏は彫刻技術に優れ日展にも出品するほどで、
昭和2年には豊川市立牛久保小学校の二宮金次郎像も作成しています。
前芝小学校の金次郎像は、コンクリート造で、
背中に背負うのは薪ではなく魚や貝等を入れる竹製のビクを背負っているのです。
これは当時、前芝村あたりが海岸に近いことからということだったからと言われています。
その造形はすばらしく、全体のバランスと、像自体の強度を保つための足元の切株は
その後の金次郎像のモデルともなっているそうです。
若干劣化が進んではいるようですが保存状態は大変良好との事です。
この碑文には
「天道は万古変せず 人道は働むるを以って尊しとす」
と書かれています。
この石像を寄贈した 加藤六蔵氏は 我が母校の 慶応義塾の出身で
地元の商工会を設立したり 鉄道を引いたりした方で
後に衆議院議員になった方でした。
で これだけ尊敬された二宮金次郎ですが
近年見かけなくなったのは
子供を働かせているのはけしからん とか 現在ではなく スマホを見ながら歩くような
ながら歩きは危険だからと言う理由で 撤去が進んでいると聞きましたが
日本の文化が失われて行くのではと 私は残念でたまりません。
今こそ 改めて 二宮金次郎の教えを 子供たちに伝えるべきではないかと思うのですが
これも時代の流れなんでしょうか???
という事で
今回で 二宮金次郎の話はこれまでとし
銅像と言えば 妙な銅像が
福岡のある神社にあるのです。
その銅像とは???
それが 何故神社に?????????
それは??????
明日に続く、、、、、。