EXECUTIVE BLOG
2022.7.31
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 日本三大怨霊の一人の
崇徳天皇の話でした。
天皇が怨霊となるというのですから 一体どこに原因があったのか???
と思ってしまいます。
この崇徳天皇の生誕にその原因があると言う話があるというのが
昨日までの話でした
この話には色々な天皇の名前も出てきますし
整理しておかないと 誰が誰なのか??分からなくて頭が混乱しそうですが
なんとか
思い出しながら続けてみます。
1123年、まだ幼い崇徳天皇が天皇即位します。
この天皇即位には、白河法皇の意向が強く働いていたようです。
白河法皇は天皇家の長老として、崇徳天皇を後見すること すなわち院政を敷く事で、
権力を握ろうと考えたようです。
しかし、これに納得いかないのが譲位したばかりの崇徳天皇の父親である鳥羽上皇ですよね。
鳥羽上皇は、
自分が天皇時代は院政を敷く白河法皇の言いなりでしたから、
上皇になれば次は自分が院政を敷けると思っていたのです。
それなのに、
上皇になった後も引き続き白河法皇が権力を握り続けたことで、
鳥羽上皇は天皇・上皇を通じて自ら何もすることができず、
己の無力さを痛感することになります。
そのため、鳥羽上皇は白河法皇のことを良く思っていませんでした。
さらに厄介だったのが、もともと噂話として出ていた
自分の子供であるはずの崇徳天皇は 実は白河法皇の子供ではないかと思い始めたのです。
鳥羽上皇は
白河法皇が崇徳天皇の後見にこだわるのは、権力が欲しいだけじゃなくて、
実は白河法皇が崇徳天皇の父親だからなのでは?と考えるようになりました。
自分は白河法皇の子を育てられさせ、
しかも、天皇・上皇として何もすることができなかった。
なんたる屈辱・・・!全ての元凶は、忌まわしい崇徳天皇の存在だ・・・。
と考えるようになるのです。
ここまでだと
怨霊になるのは 鳥羽上皇では? と考えたくなりますね
何の罪もない 崇徳天皇が何故 その後
怨霊にならなければならなくなったのか??????
これは 今の常識では考え難いと思いますが
ここでも
菅原道真や平将門の時のような 権力闘争が裏では起きていたのです。
人間はどうしても 権力を握りたくなりますし その力を保持しようと
考えてしまうのでしょう
では
この後
崇徳天皇は どんな権力争いに巻き込まれて行くのか???・
その命運は???????
は
明日に続く、、、。