EXECUTIVE BLOG
2022.2.5
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は 話が逸れて
神社の話から ゴッホ展を見に行って感じた事の話になってしまいました。
印象派とか前衛芸術は 誰が評価したかで 価値が出るのではと
思ってしまうのでした。
画家は皆最初は基本から学ぶのでしょうが
その中から自分なりの表現力を発揮していくのだなと思います。
その事を 理解できる人が居なければ作品は日の目を見ないと思うのです。
しかも
評価する人の社会的な地位が高ければ高い程
世間はその評価に左右されてしまうだ思います。
そう考えますと 多くの画家がパリを目指して頑張ってますが
その作品を認めてくれる人が居ない限り日の目を見ないのでしょうね、
しかも その画家が亡くなったあとに価値を認められても
既に本人は居ないわけですから 虚しさを感じます。
芸術家として認められるのは本当に大変な努力が必要なのだと思います
という事で 昨日の続きとしては
私に関する事なんです
私が 芸術に対して 興味を失ってしまう出来事が中学時代にあったのです。
中学校では 美術の時間とがありました、 もちろん 美術の歴史なども学ぶのですが
絵を描くのも授業の一環としてありました、
所謂写生でしょうか、 屋外の風景などを描いて提出しなければならないのです。
もともと 絵が上手でもなく 好きでも無かったのですが
描くからには一生懸命描かなければと思い きちんと鉛筆で下書きをしながら
そして そこに自分何りに工夫しながら描き上げて提出したのです。
その後 先生が各生徒の絵に対しての評価をされるのですが
なんと その時の私の絵の評価が 5段階中では最低の 1だったのです。
自分の中では一生懸命描いたつもりだったのですが 先生の評価としては
最低だったのでしょう、 それで 1の判定をされてしまったのです。
絵の評価は確かに難しいですし 写真の様に忠実に描かれたものが高い評価を
されてたのかもしれません、
私の絵は ぐちゃぐちゃで 全く
景色も分からない位の下手糞だと思われたのでしょうが
それでも 自分なりには努力はしたのです
しかし その努力は評価をされなかったのです。
それで これは 努力しても仕方ないと言う考えになり
次回の 写生の提出の時は どうせ一生懸命描いても評価されないのだから
努力するのも馬鹿らしいし さっさと終わらせて 他で遊んでいた方が良いやと
思い 本当に適当に なんの下書きもせずいきなり絵の具をつかって描いて
提出したのでした。
多分 ほんの数分で描き上げたと思います。
この絵は前回より気持ちも入っていませんし 描き殴ったような絵でしたから
どうせ 又評価は 最低の1か 若しくは最悪0の評価で
呼び出されて皆の前で怒られ 廊下にでも立たされるのだとばかり思っていました。
しかし どういう事でしょうか??
その時の絵は 最高点の5を頂いたのです
しかも 先生が 私の絵を授業で皆に見せて
良くは覚えていませんが 素晴らしい作品です みたいな事を
言われたのでした。
この時に 一体この評価は何なのだ???
必死に一生懸命描いた絵が1で 適当にやる気も無く殴り描きした絵の方が
評価されるとは、と思い
以来 自分の中で 芸術の評価と言うのはなんていい加減なんだと思う事になり
全く 興味を持つこともなくなってしまったのです。
そう言う事で
やれルノワールだ ピカソだ ゴーギャンだ 今回のゴッホだと
言われても 自分では評価することが出来ず
世間が この作品は凄いのだとか 何億円の価値がついた絵だ と言われて見るから
きっと凄いのだろうな と思うだけで
見に来てる観客の何人が 本当に理解をしているのだろうか?と
思ってしまいます。
そんなこんなで 美術に対して興味も失ってしまっていたので
授業もろくにうけていませんでしたので 毎回美術の点数は最悪でした。
しかし
この事が
後に大変なことになることをその時は気が付いていませんでした、
いったい その後
何が起きたのか???????
それは?????????????
明日に続く、、、。